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「幻魔大戦」
投稿日 : 2002/01/28 23:22
投稿者 Excalibur
参照先
もし貴方が原作の『幻魔大戦』の大ファンで、かつ映画を未だ見ていないのであれば、今すぐに映画の存在は忘れた方が良いだろう。何故ならば、これは原作に対する冒涜行為以外のなにものでもないからである。

はじめに簡単に<幻魔>シリーズをおさらいしてみる。
最初に発表されたのが原作:平井和正・いずみあすか/漫画:石ノ森章太郎(因みに「いずみあすか」は石ノ森のペンネーム)のコミックス版『幻魔大戦』。但し連載は事実上打ち切りであった。しかし評価する声も高く、次いで平井・石ノ森コンビのコミックノベル『新幻魔大戦』(後に平井単独の小説版も発表)が書かれ、以後は更なる中断期間を経て平井和正単独で『真幻魔大戦』、小説決定版『幻魔大戦』、シナリオノベル『ハルマゲドンの少女』、<第2期幻魔大戦>『ハルマゲドン』と続けられていく(石ノ森章太郎単独のオリジナル『幻魔大戦』もあるが、こちらは他作品との関連性が明確ではない)。

ストーリーの流れは先ず『新幻魔大戦』において、1999年に地球が幻魔の侵攻によって滅亡するところから始まる。
その歴史を変えるために時間跳躍者(タイムリーパー)が過去へ飛び、以後江戸時代からの歴史の改変を画策。その結果コミック版『幻魔大戦』や小説版『幻魔大戦』などのパラレルワールドが派生するが、どちらもまたもや滅亡の憂き目に遭う(コミック版はそこまで描かれず暗示するにとどまり、小説版はそこへ至る前に中断。その詳細は間接的に他の作品で語られることに)。しかしその間に本来の舞台である『真幻魔大戦』の世界が用意されていた・・・そんな展開である。
また、シナリオノベルという形式で発表された『ハルマゲドンの少女』は各作品の橋渡しの役目を負っており(『ハルマゲドン』は小説『幻魔大戦』のストレートな続編であるがこれまた中断)、中断された作品群を補完している。
アポロやクロノスらギリシャ神話の世界や、ムーやアトランティス、日本の奈良時代などなどキャラクターたちも輪廻転生を重ねて登場する、時間を超越した壮大な物語だ。救世主物語という側面から宗教臭さを感じ取るむきもあるが(実際、キリスト教や仏教からの引用も多く、またカルト教団の台頭など時代を先取りしている面も)、純粋にSFとして楽しむのが本筋だろう。

さて問題の映画の方であるが、これは最初のコミック版『幻魔大戦』と小説版『幻魔大戦』をミックスし、オリジナルのキャラクターを追加し勝手な解釈を加え、安易な独自の結末をつけた駄作であるとしか言い様がない。
なんせ前哨戦が終わっただけでメデタシメデタシというハッピーエンド。スケール感も何もあったものじゃない。おまけに「超能力」という概念に対して否定的な原作(小説版)に対して、こちらは明快な超能力礼讃のアクション映画になっている点も「解釈の違い」という言葉では納得出来ない部分だ。もし監督がりんたろうではなく富野由悠季だったなら、もっと違った映画になっていただろう。少なくとも平井和正との対談を見る限り、富野由悠季の作品に対する解釈は的外れではないように感じたのだが・・・。
「これは私の゜幻魔゜じゃない」(平井)、「原作と映画は別物」(石ノ森)と原作者コンビは初めから逃げを打っていたが、このあたりに角川映画の一面を見る思いがする。また石ノ森章太郎を原作者の一人に謳いながらも、新しく大友克洋にキャラクター・デザインを依頼。この起用を慧眼であるとするむきもあるが、当時のファンにはかなり拒絶反応が強かったことも付け加えておく。

最後にもう一度、原作が大好きならば見るな! である。
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作品データ
投稿日 : 2002/01/28 23:22
投稿者 Excalibur
参照先
製作:角川春樹、石ノ森章太郎
原作:平井和正、石ノ森章太郎
監督:りん・たろう
脚本:桂千穂、内藤誠、真崎守
音楽監督:キース・エマーソン
音楽:青木望

(声)
古谷徹/小山茉美/池田昌子/潘恵子
原田知世/美輪明宏/白石加代子/江守徹

1983年
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