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「さよなら銀河鉄道999/アンドロメダ終着駅」
投稿日 : 2001/01/11 23:29
投稿者 久保田r
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星々の間を汽車が走る・・・。そこに私は「999」の魅力を第一に感じていまして、煙りを長くたなびかせて宇宙を駆け抜ける姿は、風情があると言いますか、情緒を感じます。
しかし、鉄郎とメーテルが「999」に乗っていざ立ち向かわんとする旅路の果ては、機械化への戦いへの旅であります。のんびりと宇宙の旅を楽しんでいられない状況が彼らを待ち受けています。
荒廃した地球で戦いを続ける鉄郎の元にメッセージが届けられる。それはメーテルの声で「鉄郎、999へ乗りなさい」というメッセージ。メッセージを受けて鉄郎は999に乗るために宇宙ステーションへ行くのですが、999が地球を飛び立つまでに多くの仲間の血を流すことになり、ストーリーが始まって何分かの間に流された血の重さと仲間たちの思いの重さに、今度の旅もまた辛い旅になるであることを知ることになるのです。
惑星モザイクを出て、999が大アンドロメダに向かうシーンがとても印象的で、個人的にこのシーンが気に入っています。視覚的に派手なシーンの連続ですので、最初に見た時から忘れられず、「さよなら999」というとこのシーンを真っ先に思い浮かべます。
「さよなら999」では、娘と母、息子と父、という二つの闘いが描かれていて、”重い話である”という印象が強いです。黒騎士ファウストと鉄郎の戦いは、男同士の戦いとして描かれて行きますが、鉄郎に撃たれた後のファウストの「さらば息子よ・・・」という呟きに、何かに気付いた鉄郎の表情が胸に切なくなります。
戦いを終えて鉄郎は無事に地球へ帰れることになるのですが、メーテルとはどうしても別れなければならなくなる・・・。謎に包まれた女性メーテル・・・。悲しみの深い女性だな、と感じたラストシーンでした。
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Re: 新登場キャラクターの声
投稿日 : 2004/05/08 00:21
投稿者 Excalibur
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この作品には何人もの新登場キャラがいますが、そのキャスティングが当時から気になってるんですよね。というのは役柄に合うか合わないかよりも、旧作でキャラが死んじゃってる声優さんが優先的に選ばれてる気がするんですよ。まぁチームワークを大切にした、ってことなんでしょうが。
例えばメタルメナ。999号の新しいウェイトレスさんですが、前作に登場したガラスのクレアとは正反対のキャラです。これを同じ麻上さんが演じるというのはどうなんでしょう?
鉄郎と友情で結ばれるミャウダー、これもなんかイマイチ(予告篇では塩沢兼人さんでしたっけ)。どう考えても、中枢大コンピューター(=トチロー)のセリフ一言だけのために富山さんを呼べなかったから、という気がしてならないんです。
機関車C−62の柴田さん(=機械伯爵)もウーン。小原さん(=リューズ)のミーメ役というのはTV版『ハーロック』からの流れですから、これは納得なんですが。
幸い皆さん上手い方ばかりですから見ていて違和感はないんですが、キャストが発表された当時からずーっと気になってはいるのです。
気になるといえば、老パルチザン役の森山さん、ちょっと若すぎませんか?これは前作ならアンタレスの役どころでして、声優さんスライドの法則(?)が正しければ久松保夫さんが適任かと思うんですが、もしかして代役だったのかも。というのも後の『わが青春のアルカディア』で老トカーガ兵役で久松さんがキャスティングされながらも、急逝されてしまったために急遽森山さんが代役を務めたってことがあるんですよね。考えすぎかもしれませんが。
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やっぱり
投稿日 : 2001/08/05 11:39
投稿者 F20!
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地球から脱出するときのパルチザンのじいさんでしょう

線路切り替えポイントにもたれながら、
999に乗っていく鉄郎との別れのシーンは好きですね

あとは、モザイクでのパルチザンの唄もいいなぁ
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私 好きです
投稿日 : 2001/08/04 23:37
投稿者 MIHO
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この作品は、エンディングで必ず泣きます。
鉄郎が違うし、話も無理矢理だったりするんだけど グワーってくるものがあってエンディングで「SAYONARA」が流れるとブアーっと泣きます。
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作品データ
投稿日 : 2002/07/28 22:29
投稿者 Excalibur
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製作総指揮:今田智憲
企画・原作・構成:松本零士
企画:有賀 健/高見義雄
脚本:山浦弘靖
音楽:東海林修
監督:りんたろう

(声)
野沢雅子/池田昌子/麻上洋子/肝付兼太
井上真樹夫/田島令子/小原乃梨子/富山 敬
来宮良子/大塚周夫/森山周一郎/城 達也/江守 徹

1981年
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「蛇足」
投稿日 : 2001/01/14 19:55
投稿者 Excalibur
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世紀の傑作『銀河鉄道999』の、これは「蛇足」としか言いようがない続編である。
「物語とは本来、永遠に続かねばならぬ」とは作家・栗本薫の名言であるが、いかに続編好きの筆者であっても、この作品は認めることが出来ぬ。
何故ならば、テーマ的にもストーリー的にも前作で完結しているからである。
前作のラストにおいて、自らの目標を見つけ、少年の日に別れを告げ、自立していった星野鉄郎。そして、その鉄郎が切り捨てていったものの象徴としてのメーテルの存在。
であるならば、大人への道を歩み始めた鉄郎は、メーテルに再会してはならないのである。成長した鉄郎の物語には興味があるが、少なくともメーテル抜き999号抜きで語られなければならないはず。
またメーテルも、鉄郎にとっての自分の役目は終わったとして、今度は別の少年を導く役目を負わなければならない。原作でもTV版でもそれを匂わせているし、何よりも前作のラストが正にそれであったにも拘らず、なのである。ストーリー面でも言わずもがな。終着駅(機械化母星メーテル)の先に駅があったのでは、作劇上の大きな破綻と呼ばずして何と呼ぼう。
今回のキーマンである鉄郎の父・黒騎士ファウストも、デザイン、設定共に明らかに先年公開された『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』におけるダース・ヴェーダーの影響が大であるし、途中から追加されたキャラクターであることも想像に難くない(少なくとも初期のプロットでは存在していない)。
はたしてやる気があったのかと疑う原作者の姿勢の下には、やはりちぐはぐしたスタッフの存在がどうしても見えてしまう。松本キャラを見事に自分のものにした作画、芸術品と呼べる美術設定、暴走しまくっている演出、何処かで聞いたようなメロディでものの見事に作品の雰囲気を一変させてしまった音楽、等々。
経験も、そして技術的にも向上していながら、何かフルマラソンを終えた直後に、もう一度42.195キロを走らされるマラソンランナーのような雰囲気がしてならない。そして、長く続いた松本零士ブームも、この時終焉を告げたのである。
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