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「オーディーン/光子帆船スターライト」
投稿日 : 2001/01/28 21:42
投稿者 Excalibur
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企画・原案・製作・総指揮:西崎義展
総監督:舛田利雄
監督:山本暎一、白土武
脚本:笠原和夫、舛田利雄、山本暎一
音楽:宮川泰、羽田健太郎、高崎晃、天野正道、安西史孝

(声)
古川登志夫/堀秀行/潘恵子
加藤武/納谷悟朗/石田太郎

1985年
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Re: 「オーディーン/光子帆船スターライト」
投稿日 : 2010/06/20 15:53
投稿者 久保田r
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 「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー・西崎義展氏が、「ヤマト/完結編」の次に手掛けたSF作品。時は2099年。木星までレーザーネットワークを張り巡らせ、レーザーを帆で受けて航行する航法が主流の時代。20年の歳月をかけて完成した最新の宇宙船スターライトは、重力遮断航法により木星よりも遥か遠くまでの航行が可能となった。卒業したての若いクルーたちとともに処女航海に旅立ったスターライトは、SOS信号を受診。重力遮断航法のテストを兼ねて現場へ急行し、脱出ポッドから少女を助ける。サラと名乗るその少女は、不思議な能力を身につけており、異星人の言語を解読し、「オーディーン」という言葉を口にするようになる。

 130分を超える長編で、序盤に約30分間かけて帆船の歴史を描いているところは丁寧で分かりやすいとは思ったが、2099年の時代へと移り、BGMが一転してハードロックとなり、若者たちがだだっ広いスターライト号の中を走り回る描写に続いて各部署の配置と発進のプロセスまでも時間をかけて懇切丁寧に描写しているところまでを見るだけでおよそ1時間もかかっていた。サラを助け出し、ようやくドラマが動き出すのかと思いきや、後半に入ってからも続々と新しいメカが登場し、どこまで行っても企画と設定とそれらの描写を追って行くのが精一杯で、キャラ一人一人の役割といったものも一部を除いては曖昧な部分が多く、終盤に至っても尚、まだ見ぬオーディーンへの期待や希望といったものだけが語られ、とうとうオーディーンに到着することなく幕切れという、何とも企画と設定の意気込みだけは感じられるものの、肝心のドラマについては荒削りの部分の多い作品になっていたように思う。

 見終わった後、作品の魅力ってなんだろう?とふと思った。主立ったところでストーリー、キャラクター、音楽、メカとキャラの双方のデザインが挙げられると思うのだけれど、これらのバランスがちょうど良く保たれていると、見ているこちら側としても落ち着いて鑑賞することができる。ただ、このバランスを如何にちょうどよく保つかが非常に難しいところで、どれか一つでも突出していたり欠けていたりすると不安定になる。当作品は、企画や設定に関しては、吸引力を感じるのだけれども、メカの設定とデザインに於いても細部までよく考えられデザインされているとは思うのだけれども、肝心のドラマを動かすキャラクターの魅力が残念ながら今一つであったように私には感じられた。そして、音楽に関してもハードロックの強調さは果たしてどうかな…と感じたところ。

 スターライトやその内部、敵の武器や要塞やベルデルなど、メカのデザインは綺麗で良かった。だが、作品としては、オチがないとやはりいけない。オチのないままフェードアウトしている点が残念。導入部が良かっただけに、終わりもきちんと丁寧にオーディーンの姿を描いて欲しかった。オーディーンに到着するサラの姿を見たかった。
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「ヤマト」を継ぐもの
投稿日 : 2001/01/28 21:44
投稿者 Excalibur
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西崎義展プロデューサーが夢よもう一度、という想いで製作した『ヤマト』の事実上のリメイク。
だが公開前は『ヤマト』との違いをさかんに強調しておられた。
曰く、『ヤマト』は200年未来の物語だが『オーディーン』は100年先である。
曰く、『ヤマト』は軍艦だが『オーディーン』のスターライト号は商船で非武装である。
曰く、『ヤマト』ではワープを使ったが『オーディーン』では重力遮断航法を採用する。
曰く、『ヤマト』はジャズを基調としたシンフォニーだが『オーディーン』はハードロックである、等々。
しかし違いを強調すればするほど、逆にその類似性が浮き彫りになるという結果となってしまった。
『オーディーン』では太陽系外はおろか木星までしか人類の手は伸びていないという設定だが、ワープにかわる重力遮断航法によって外宇宙へ出られれば同じことである。
戦艦ではないスターライトだが途中で武装強化し、特に電子スクレーパー砲を装備してからは絵的には波動砲となんらかわるところがなく、また宮川泰・羽田健太郎コンビによる重厚なBGMは正しく『ヤマト』の後継作と呼ぶに相応しい出来だ。
相変わらず途中で戦死する船長(艦長)、TVシリーズ化を前提にしていたとはいえ旅の半ばでおわってしまうストーリー、≪『ヤマト』復活三ヵ年計画≫の一本目としてはまことにお粗末ではないか。しかも公開中にもフィルムに手が加えられ、比較的短かかった公開期間(打ち切られたようだが・・・)にもかかわらず、何ヴァージョンか存在するとのこと(少なくても、公開早々に私が見たものと、後にビデオ発売されたものでは細部で差異が見受けられる)。どうせなら、開き直ってはじめから『ヤマト』で勝負すべきではなかったか。
余談ではあるが初期のスタッフ表には「松本零士」の名前がある。どういう経緯でそのクレジットが削られたのか興味深いところだ。
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