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「村の写真集」
投稿日 : 2011/07/28 16:58
投稿者 久保田r
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<スタッフ>
監督:三原光尋
監修:立木義浩(写真監修)
製作:三木和史
ラインプロデューサー:石田和義
脚本:三原光尋
撮影:本田茂
美術:須坂文昭
編集:宮島竜治
音楽:小椋佳
助監督:武正晴

<出演>
藤竜也/海東健/宮地真緒/甲本雅裕/桜むつ子/吹石一恵/大杉蓮/原田知世/ペース・ウー

2005年
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Re: 「村の写真集」
投稿日 : 2011/07/28 16:59
投稿者 久保田r
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 徳島県の山あいのとある村里、花谷村では「村の写真集」という役場の企画により、村に住む人々を撮影して写真集を作ることが決まった。撮影者は、村の写真館「高橋写真館」の主人の高橋研一。助手には、東京でカメラマンとして活躍している息子の孝を呼び寄せ、一件ずつカメラ機材を担いで歩いて行っては撮影するという日々を送っていた。折しも花谷村は、ダム建設の話が持ち上がっており、賛成派と反対派が対立しており、そのような雰囲気の中、村人たちは喜んで写真撮影に応じていた。そんなある日、父親の研一が倒れる。

 撮影場所は、徳島県となっているけれども、山の多い日本にとっては、作品が映し出している村里の風景は、誰の心の中にも懐かしさを感じさせる日本の原風景であろうと思う。圧倒的な木々の多さ。小川のせせらぎ。山の斜面に沿ってぽつぽつと建つ家。ほんの数百メートルしかないメインストリート。4世代同居の家族。戦争に行った息子の帰りをたった一人で山奥の家でひたすら待ち続ける老母。酪農。林業。食堂のような居酒屋。村まつり…などなど。都会のような刺激ときらびやかさはここには一切不要で、村里で生まれ育ち、愛着を持って暮らし続ける人々の生活と思いが映像化されている。

 人生賛歌。自分の人生を受け入れること。見つめること。愛すること。親から子への愛。子から親への愛。家族愛。兄弟愛。地域への愛。そして感謝。これらがみんな詰まっている人間くさいドラマでとても良かった。田舎のがんこおやじという役柄の割に藤竜也さんは、相変わらずダンディな出で立ちであったが、黙々と自分自身を貫く男の人生を、全身を通して演じている姿が感動的だった。後半の、杖をついてふらつきながら、息子の背におぶさりながら山を登って行くシーンは、感涙ものだった。涙が止まらなかった。

 「撮らせてもらえ」という台詞に、この作品の意味するところが凝縮していると思った。家族の肖像写真を撮った後に、必ず言う「ありがとうございました」が、心に染み、藤竜也さんの声の響きが感謝に満ちていて本当によかった。父親に対して不満を募らせている息子に対し、言葉による説明ではなく、行動で示し続けた男親の教えといったものが詰まっているのもよかった。それに気づくことができた息子は、一回り大きく成長していく。

 私的な話になるが、私は学生時代からずっと写真に携わって生きてきた。趣味で始めたものが、仕事となってからは生きるための手段となった。それまで写真は撮影者の表現手段と思っていたものが、生きるための手段となった時に必然的に被写体に対する見方が変化した。若いうちは鈍感にもそれに気づかないままで過ごしていたが、ある日写真は"一瞬のありのままの現実を記録する"というごく当たり前のことに気づいた時、被写体に対して感謝にも似た気持ちを持つようになった。以来、撮影の後の「ありがとうございました」の瞬間が好きになった。私が勤めていた会社は、肖像写真をベースとしていたため、よりいっそうそう感じるようになったのかも知れない。現在の私の仕事は、写真からシフトして映像へと移っているが、写真の経験は自分のベースになっていると信じている。

 この作品は、私の人生と重なっている部分が多い。年齢的に私はまだまだ主人公の研一の域には及ばないが、息子の孝の気持ちについてはわかる部分が多い。それだけにこの作品は、随所にわかる部分があり過ぎて切なかった。そして私の人生は無駄じゃないと思える作品だった。感動と感謝の二言。
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