「今日もどこかでデビルマン」
投稿日 | : 2000/11/25 03:21 |
投稿者 | : Excalibur |
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本放送時にはエンディングがなかったので、再放送で初めてこの曲の存在を知った時(まだレコード持ってなかった)、かなりの衝撃を受けた。絵的にも「人の世に愛がある/人の世に夢がある/この美しいものを守りたいだけ」というフレーズに、美樹と一緒にいる明の姿をあてはめ、次いで美樹の顔のアップ、更に明の顔がアップになると、それがデビルマンの顔へと変るという演出がオシャレに見えた。使われなかった2番の歌詞「もうこれで帰れない/さすらいの旅路だけ/このやすらぎの心/知った今では」というフレーズに、『デビルマン』って大人の作品なんだ、と心をときめかせた覚えがある。
作詞:阿久悠/作曲:都倉俊一/編曲:三沢郷/歌:十田敬三
『デビルマン』(1972)
Re: 「今日もどこかでデビルマン」
投稿日 | : 2004/01/02 23:10 |
投稿者 | : 梶原正義 |
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例の「なつかしのヒーロー&ヒロイン ヒット曲集」のシークレットCDがこれであります。いやぁー久しぶりにきちんとした音源で聴くことができて嬉しいです。
アニメを見ていた頃は、夕暮れに鳩が飛ぶシーンを始めとした映像との絡みの方が印象的だったし、「いぇーい!俺はデビルマンが誰だか知ってるぜ!(爆)」と言っては悦に浸っていた馬鹿でもありました(汗)。
しかし、久しぶりにCDというクリアなソフトで聴きなおすと、いろいろと発見があって逆に味わいを感じました。セミアコっぽいギターのカッティングから始まり、いかにも60年代末期〜70年代初期といった風合いのハモンドオルガンの音色に絡む“タットロロ・・・♪”という感じのドラミングは、やはり混沌とした“あの時代”を感じさせて、古臭くもあり、またそれだけに懐かしさを覚えさせてもくれます。竹でも叩いたような独特のパーカッションの音やアフロっぽいピアノは、どこかポリリズム的な感じでそれはそれでまた時代を感じさせてくれますね。他方で、かの青木望さんの編曲によるホーンの使用も、はきり言って“いかにもあの時代”なのである。でも、あのホーンの低音部がベースライン辺りで遠鳴りした感じは個人的には郷愁が湧いてきて大好きです。
言うまでもなく、この唄は作詞:阿久悠/作曲:都倉俊一という黄金のコンビである。歌詞は、阿久悠先生のお得意のメッセージ性のある“独自の世界”感だし、曲も都倉俊一先生お得意の“マイナーで静かに始まって、一気にサビまで高揚する”あの構成である。
リフレインの最初の「人の世に・・・」の歌詞は、二度繰り返される。この時、曲はこの最初のフレーズの時はやや高揚気味に始まるのだが、二度目では同じ歌詞でありながら、今度は抑え目な曲調になっている。そして、次の「この美しい・・・」で最高潮に達するのである。
お決まりの“ホップ・ステップ・ジャンプ”という構成なのだが、やはりビシッと決まると本当に快感である。同じ歌詞に違うメロディで、それも変化を加えることで却って歌詞のもつメッセージ性をより強調することに成功している。「あふれる感情→その確認/確信」という主人公の深い心情が見事に表現されている。これこそ“曲”ある“詞”であるところの“歌詞”であろう。“詩”であり“唄”なのである。最近は、こういう歌が本当に減ってしまって残念。ことばのもつメロディが伝わってこないから、歌に“情景”や“情感”がないのね・・・なんだか年寄りみたいになってしまったな。
これを歌うのは、十田敬三。水木“兄貴”一郎直系の“雄たけび系(?)”と言われるが、アニキほどは“こなれて”なくて、ややフォークよりの荒々しい感じで朗々とした感じで歌い上げている。それが、このどこか陰鬱とした郷愁あるメロディには、よく合っているように思う。ただ、それだけに守備範囲も固定されてしまっている。デビルマン以外にはCMソング程度しか声を聴くことはできないように思うが、それも致し方ないところか?
それにしても、「今日も何処かでデビルマン」っていう歌詞の意味は何だ?あんた「花の子ルンルン」みたいに、全国を巡業してるんかいな!?(猛爆)