「ロッキー」
投稿日 | : 2021/06/26(Sat) 19:57 |
投稿者 | : Excalibur |
参照先 | : |
監督:ジョン・G・アヴィルドセン
脚本:シルヴェスター・スタローン
音楽:ビル・コンティ
製作:アーウィン・ウィンクラー/ロバート・チャートフ
製作総指揮:ジーン・カークウッド
シルヴェスター・スタローン/タリア・シャイア
バート・ヤング/バージェス・メレディス/カール・ウェザース
1976年
”Gonna Fly Now”
投稿日 | : 2021/06/26(Sat) 19:59 |
投稿者 | : Excalibur |
参照先 | : |
うだつの上がらない無名のボクサーが、ふとしたことから世界チャンピオンの対戦相手に指名されるという物語は何度見ても燃える。
これ一本で、やはり無名俳優だったシルベスター・スタローンも一躍スターダムを上り詰め、作品世界同様アメリカンドリームは存在することを知らしめたという点でも歴史に残るだろうし、「もし15ラウンドが終わってもまだ立っていられたら、俺はただのチンピラじゃなかったことを証明出来る」という台詞にも痺れる。
この時点でのロッキーにはヒーローらしさは皆無で、高利貸しの取り立て屋をやってるチンピラ。
押しが強いというか、他人の迷惑省みずで、デリカシーのなさが気になる。
永遠のヒロインのエイドリアンも、地味でブサイク。
お互いにお互いのどこに惹かれたのかはわからないが、この2人が映画の後半に差し掛かるにつれ段々と美男美女に見えてくるのは一種のムービー・マジックである(エイドリアンが眼鏡を外す、というのもわかりやすいポイントだが)。
この二人と密接な関係を持つのが、自分勝手で我儘で癇癪持ちのエイドリアンの兄ポーリーと頑固オヤジでロッキーに唯一正面から苦言を呈することの出来るトレーナーのミッキーの二人。
対照的ではあるが、どちらも日和見主義でちゃっかり勝ち馬に乗ろうとしている点では同じで、癖もあるけど味のある小市民ぶり。
こういったキャラクターに囲まれて庶民性が際立っているのもこの作品が支持された理由なのだろう。
ロッキーが雇われてる高利貸しも、何かとロッキーを気にかけ面倒を見てくれてる(時には師であるミッキー以上に)点では、決して単純な悪人には描かれておらず、むしろ表裏がない分好感が持てるようになっていて、つまりは街ぐるみでロッキーの味方をしているという図式がいやでもファイトシーンを盛り立てる仕掛けになっているのだ。
正直言えば彼らが出てくる中盤までの展開には些かまだるっこしさを感じはする。
ロッキーがどんな生活を送っているのか、ロッキーが住んでいるのはどんな所でどんな人たちが暮らしているのか等々、作劇上でもキャラクター描写の上でも必要不可欠な部分なことはわかってはいるのだが、ロッキーとアポロとの対戦ムードを盛り上げた方が現在なら推奨されるかもしれない。
またロッキーとエイドリアンの不器用な恋愛模様にイライラさせられるとまではいかないが、二人の仲を取り持ち、時には引き裂くポーリーの行動には終始イライラさせられっぱなし。
いい味出してることはわかるし、人間臭くて人気があるのも頷けるのだが、見ていると「許せない」という気持ちになり、その境遇には同情する気にもならない。
結局これはポーリーがシリーズから退場するまで続いた。
映画の上映時間は約2時間。
そのうちロッキーの暮らしぶりを紹介し、チャンプとの対戦が決まるまでが1時間。
ここからクライマックスへ向けて一気に物語は収斂していくのかと思いきや、ポーリーやエイドリアン絡みで人間ドラマが入るのがややテンポを悪くしているし、そもそもロッキーとエイドリアンの接近が急すぎる気がしないでもないが、有名なテーマ曲”Gonna Fly Now”に乗せたトレーニングシーンが出てくると、映画は残り30分。否応なしに盛り上がってくる。
ロッキーとアポロの試合シーンは実は最後の10分ちょっとしかなく、見ている側はそれこそ15ラウンド戦っているのを見ているくらいの充実感があり、この先の展開が分かっていても手に汗握って興奮してしまうのだが、これは演出や編集の上手さ。
そして試合は意図的なのか偶然なのかロッキーが圧倒しているように見せながらも、判定は僅差でアポロ。
安易にロッキーに勝たせなかったのが映画としての勝因で、これでチャンプとしてのアポロの面子を立てつつハッピーエンドに仕立てることに成功している。
ロッキーにとって勝ち負けよりも、自分自身を証明することが大事だったのだから。
まあそのラストだからこそアポロとの再戦を軸に続編が作られ、ドル箱シリーズと化したのだから結果オーライだろう。
スタローン自身がそこまで想定してシナリオを書いていたかどうかはわからない。
試合後の「リターンマッチはなしだ」というロッキーとアポロのやり取りは伏線なのか、それとも当時の製作サイドの本音だったのか、どちらだろうか。