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「さらば宇宙戦艦ヤマト/愛の戦士たち」
投稿日 : 2001/05/21 22:52
投稿者 Excalibur
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西暦2201年、復興なった地球はかつてないほど繁栄していた。が、その頃、新たな脅威・白色彗星が宇宙を席巻していた。おりしも宇宙の危機を訴えるメッセージが届くが、地球政府は重い腰を上げようとはしない。宇宙の平和なくして地球の平和はない。かつてのヤマト乗組員達は、敢えて反逆者の汚名を着てまで廃艦寸前のヤマトで旅立ってゆく。それがヤマト、最後の旅であった・・・。

公開前夜にCX系での前作『宇宙戦艦ヤマト』のTV放映、それを受けて公開直前までの深夜のラジオ特番(LF)、とメディアミックスの走り的な展開を見せての公開。以降、公開に合わせてラジオとTVでの特番放送が慣例となった。
また、沢田研二が唄う主題歌は、歌謡曲・ポップス畑の歌手をアニメーションに起用する悪しき習慣(敢えてこう呼ぶ)の始まりとなり、作品と主題歌の遊離を招くことになった。また企画段階では土方艦長役には三船敏郎や仲代達矢が検討された、ということで、これが実現していれば、またひとつ悪しき習慣の始まりになるところだった(これは必ずしもマイナス面だけではないが)。

公開当時、まさか最後で主人公を死なせるとは思ってなかったので、かなりショックを受けた覚えがある。が、このラストが特攻隊を描いたものだという批判は、かなり的外れなもののように感じていた。この結末が唐突である感は否めないが、ストレートにそこ(=特攻隊)へ結びつける必要もないだろう、と。
だが一番残念なのは、このシーンでキャラクターが破綻してしまったことである。前作で「明日の為に今日の屈辱に耐える」と言っていた沖田十三が、何故に古代に向かって自分の生命を捨ててまで地球を守れ、などと言うのだろうか。一方で古代は島に対して「生きて生きて生き抜くこともまた人間の道」などとほざいてるが、これでは主旨が一貫していない。まさかこれが戦前教育の歪さ、などと捉える向きはないとは思うが、個人としての「作家性」が存在しない、集団創作の矛盾点の現れとみることは出来るだろう。
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Re: 「さらば宇宙戦艦ヤマト/愛の戦士たち」
投稿日 : 2005/12/06 13:23
投稿者 久保田r
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 この映画をきちんと見たのは、大人になってから。私が『ヤマト』に本格的にハマったのは『永遠に』の後からで、子供の頃はテレビのロードショーでしか見る機会がなかった。我が家にビデオデッキがやって来たのは随分後のことで、それでもオンエアされる『さらば』を何とか形に残したいと考えて、テレビにカセットレコーダーを繋いで音のみを録音した記憶がある。当時はそのテープを何回も聞いて、辛いラストに何度も泣いた。(今でも実家に行けばそのテープが残っているかも知れない。苦労して録音したテープなので愛着があった)

 『さらば』には好きなシーンと辛いシーンとが目一杯入っていて、それらの相乗効果で非常に切ない映画になっていると私には感じる。古代とユキの結婚式目前にヤマトは発進。ここで古代とユキは一旦離ればなれになり、結婚を夢見ていた女性としてユキは辛い思いを味わうし、ヤマトはヤマトで祝福された旅立ちではないし、行く先々では厳しい戦いが待っている。そんな厳しい戦いの中で、医務室で再会した古代とユキのシーンでは”また一緒にいられるね”とホロリと来るし、豪傑な斉藤始の存在は、ヤマトに新風を吹き込んでいて新たな魅力がある。しかしそんな救いがちらりちらりとありつつも、果てしなく厳しいヤマトの戦いは、徐々に乗組員の”命”を求めていく…。

 「まだ戦う手段があるじゃないか。古代、お前はまだ生きているじゃないか」という古代のモノローグの沖田の台詞は辛い。多くの乗組員が白色彗星帝国との戦いで”命”を落としており、このうえ更に最期まで”命”を求めるかというこの展開は、切なくて痛くて苦しくてもうどうしようもなくなる。どんなに精神が屈強でも、心が傷つかずにはいられない。”命”って何だ?生きることが戦いではないのか?生きる為に死ぬってどういうことなんだ?という永遠に答えが出ないであろう究極の選択がこの映画にはある。

 涙なくしては見ていられない。思う存分心が傷つく。そしてそこから生まれる”命”の大切さ、重み。この『さらば』は、日本人が生み出した”命”を描いた一つの究極の描写だと思う。「ヤマト」という名前が背負う”命”の悲哀感が詰まっている。
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Re: 夏がくれば思い出す〜
投稿日 : 2004/05/07 06:27
投稿者 Excalibur
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公開開始から約一週間後に友人と一緒に見に行ったのだが、いやぁ〜この時は大変だった。
なにせ映画を見るまで二時間近く炎天下に行列作って並び、更に上映中の二時間半はずーっと立ちっぱなし。映画に感動したとかいう以前に、「足が痛い!」という感想しかなかった僕らでありました。
帰りの電車で座れたことが天国だったのだが、今思えば全てが良い思い出。今ではこれだけの熱気を感じることも、これだけの熱意を傾けることもないだろうから。
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作品データ
投稿日 : 2001/05/21 22:53
投稿者 Excalibur
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企画・原案・製作・総指揮:西崎義展
監督・総設定:松本零士
監督:舛田利雄
原案:松本零士、舛田利雄
脚本:舛田利雄、藤川桂介、山本英明
音楽:宮川泰

(声)
富山敬/麻上洋子/納谷悟朗/仲村秀生/青野武
伊武雅刀/小林修/広川太一郎

1978年
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