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「アマデウス」
投稿日 : 2002/09/17 20:42
投稿者 Excalibur
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監督:ミロス・フォアマン 
製作:ソウル・ゼインツ 
原作・脚本:ピーター・シェイファー 
 
F・マーレイ・エイブラハム/トム・ハルス
エリザベス・ベリッジ/ロイ・ドートリス/サイモン・キャロウ/ジェフリー・ジョーンズ
クリスティーン・エバーソール/チャールズ・ケイ/ケニー・ベイカー/ヴィンセント・スキャヴェリ

1984年
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正直者が損をする
投稿日 : 2002/09/17 20:43
投稿者 Excalibur
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日本では松本幸四郎のサリエリと江守徹のモーツァルトで上演されていた舞台劇の映画化で、この舞台版も是非見たかったのだが叶わず、せめてもの思いで映画館へと足を運んだ。
冒頭、一人の老人の叫びから物語は始まる。「モーツァルト、許しておくれ!お前を殺したこの私を・・・」。この老人の名はサリエリ、かつては宮廷音楽家だった男であり、以後物語はこのサリエリが神父に告白するという回想形式で進行して行く。
若き天才モーツァルト。しかし彼はその素晴らしい作品とは裏腹に、人間的には決して誉められた性格ではなかった。その彼に対して平々凡々たるサリエリは神を敬い、神への感謝の中で生きてきた。だが神は下品で愚劣なこの男にのみ恩寵を賜ったのだ。人間としてのモーツァルトを軽蔑しその才能に対して嫉妬の念に駆られたサリエリは、遂に神の最愛の下僕たるモーツァルトを破滅させ、神への復讐をを誓う・・・。
観客の多くが期待したであろうモーツァルトの毒殺シーンだが、この映画にはない(というよりも「毒殺説」を採用していない)。父を失いショックを受けているモーツァルトに、亡き父を思わせる出で立ちで「レクイエム」の作曲を依頼するなど、更なる精神的打撃を与えはするのだが直接の死因そのものは伏せられている(見ている限りでは心労と受け取れるが)。その一方でサリエリは、病床のモーツァルトの「レクィエム」作曲の手伝いまで申し出るのだ。愛と憎しみ、正気と狂気は正に紙一重で、それは人間誰しもが持つ二面性なのだろうか。確かにモーツァルトの「天才」に比べてサリエリは「凡庸」に描かれてはいる。だが本当に「凡庸」だったならば、おそらくサリエリはここまで苦しまなかっただろう。なまじ、モーツァルトの「天才」を理解出来るだけの「才能」を持ち合わせてしまったことが、サリエリの悲劇であった。もしモーツァルトなかりせば、おそらくはひとかどの音楽家として名を残していたかも知れないのだ。
ラストシーンは、全てを語り終えたサリエリの晴々とした顔で幕を閉じる。屈折したラブ・ストーリー、それがこの作品なのである。
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