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「ぼくを葬る(おくる)」
投稿日 : 2008/11/05 18:27
投稿者 久保田r
参照先
<スタッフ>
監督:フランソワ・オゾン
製作:オリヴィエ・デルボス、マルク・ミソニエ
脚本:フランソワ・オゾン
撮影:ジャンヌ・ラポワリー

<キャスト>
ロマン:メルヴィル・ブポー/ローラ:ジャンヌ・モロー/ジャニィ:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ/父:ダニエル・デュヴァル/母:マリー・リヴィエール/サーシャ:クリスチャン・センゲワルト/ソフィー:ルイーズ=アン・ヒッポー/医師:アンリ・ドゥ・ロルム/ブルーノ:ウォルター・パガノ/ロマン(少年):ウゴ・スーザン・トラベルシ/ソフィー(少女):アルバ・ガイア・クラゲート・ベルージ、他

<ストーリー>
パリで活躍する新進気鋭のカメラマン、ロマンは、撮影の途中に倒れ、検査の結果末期がんと宣告される。余命3ケ月。ロマンは、化学療法で苦しむのは嫌だと拒み、治療をせずに日々を送り、両親にも姉にも打ち明けられず、肉親で唯一人、祖母にのみ打ち明ける。刻々と死が迫る中、ロマンは、ある日カフェで働く女性から声をかけられる。

2006年 フランス 映倫:R-15
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Re: 「ぼくを葬る(おくる)」
投稿日 : 2008/11/05 18:30
投稿者 久保田r
参照先
 若くして余命3ケ月と宣告された青年の移ろいゆく感情と不安な情緒が印象的に描かれている作品。性への欲望が尽きない若い年齢のうちに死を迎えねばならない絶望的な儚さが淡々と静かに描かれ、ラストシーンには自然と涙が沸き上がってくる、消えゆく命の刹那が静かに描かれている。

 作品を見終わった後、”人生の送り方”について色々と思うことがあった。こういった若くして死にゆく運命を描いた作品を見ると、”もし自分だったらどうするだろう”といつも自問自答するが、この作品は、若いうちに散ってしまう命を美談仕立てにして大仰に感動させようとしていないので、淡々とした話の流れの中で時間の経過と共に主人公の移ろい揺れ動く情緒不安定な感情が印象的なシーンで映し出され、少しずつ染み入るような心に残る作品となっている。見終わった後には、死と生に対する思いが確実に心に刻まれる。

 主人公のロマンが同性愛者であるということが、この作品の要。同性愛者で若くして死にゆく運命の持ち主というのは、頽廃さが前提にあるが、余命を宣告されて彼は欲望のままに行動し、その一方で身内の姿をカメラに収め、”残す”という行動を取る。ここにドラマがあり、この世に生きた証──を求める姿は、死の迫った人間に共通する思いなのだということが切なく伝わってくる内容だった。

 ロマンを演じたメルヴィル・ブポーがとても良かった。余命を宣告されたばかりの情緒不安定な攻撃的な感情の表現や、祖母に会いに行った時の不思議と落ち着いた表情の表現。やがて体調の悪化が表面に出始めた時のやせ細った体と死への覚悟が定まった表情の表現がよく表れていて、作品世界を最後までしっかりと見ることができた。

 家族に告げることができなかったロマンの気持ちは、痛いほどに分かる部分もあり、でも告げるべきだという気持ちもあり複雑。それは、私が女性で二人の子を産んでこの世に残しているという、ロマンの立場との決定的な違いがあるからだが、もしロマンのような家族環境であったらどうだろう。ここでこういう仮定は無意味だが、でもロマンは、確かに家族を愛していたと思う。それは、彼が残した最後の写真を見ると分かると思う。そして、家族に告げることなく独りで己の寿命を葬った(おくった)この作品は、まさしく「ぼくを葬る(おくる)」に相応しい内容の作品だった。
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