「ライムライト」
投稿日 | : 2000/12/23 00:29 |
投稿者 | : ヒラク |
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ライムライト―舞台照明用の石灰光。転じて「名声」といった意味があります。
1952年公開。製作・監督・脚本・主演・作曲 チャップリン(!)。さらにバレーの
振り付けもしています。当時チャップリンはすでに60才をこえています。
物語はかつての大人気コメディアン・カルベロ(チャップリン)が、同じアパートに住み
バレリーナをめざすテリー(クレア・ブルーム)が自殺を図ったのを助けるところから
始まります。
テリーを元気付けるためにあらゆる協力を惜しまないカルベロですが、同時に彼自身も老境の
コメディアンとして厳しい現実に直面していきます。
やがてテリーはバレリーナとして脚光を浴びるところとなり、カルベロに結婚を申し出ます。
それに対してカルベロは・・・。
この作品の前に「独裁者」(1940)「殺人狂時代」(1947)といった作品を発表していた
チャップリンはまさにこの頃、いわゆるレッド・パージの真っ只中にいます。
「殺人狂時代」は実際に各地で上映拒否をされています。そんな状況を考えるとこの作品も
単なるメロドラマではすまされない、チャップリンの熱い思いが伝わってくるようです。
そしてチャップリン映画のみどころは、なんといっても類いまれなボードビリアンである彼の
パントマイムでしょう。ただこの作品では役柄もあってかどちらかというと劇中バレーの振り付けの
ほうに力を注いでいるように感じます。それでも物語の終盤でかつてのライバル、バスター・キートンと
共演するシーンはここだけでも一見の価値ありです。
劇中、失意のヒロインにカルベロは「人生に必要なもの」としてこう語りかけます。
‘ Some courage, some imagination and some money '
この‘some money’というのが、チャップリンの現実社会をみすえる視点を象徴して
いるということがよく言われます。ぼくは15年ほど前に初めてこの映画を観た時には
むしろ‘some imagination' という言葉が心に残りました。
チャップリンはこの後アメリカを離れ、スイスに移住することとなります。ところが
20年経った1972年、「ライム・ライト」はアカデミー賞で劇音楽作曲賞を受け、チャップ
リン自身にもアカデミー特別功労賞が贈られることになります。
ぼくが15年ほど前に映画館で観た時は「ラスト・チャップリン」と銘打たれ、無声映画を
含めてチャップリン作品を3作品ぐらいずつ週代わりで4週分、トータル15本ぐらい観たの
ですが、興行権がめちゃくちゃ高くて二度と劇場では見られないということだったんですが、
その後どうなったのでしょう。
当時の劇場パンフレットのロゴ・マークにはこう書かれています。
‘ Viva! Chaplin −Some courage Some money And BIG LOVE '
そういうことでもないと思うんだけどなぁ。
作品データ