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「機動戦士ZガンダムIII/星の鼓動は愛」
投稿日 : 2006/03/11 21:26
投稿者 F20!
参照先 http://homepage3.nifty.com/HiroMacky/999iroha.html
2日連続で映画見ちゃいました。しかもアニメf^_^;

『機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-』

誰も知らないラスト…
新訳Z完結編。

ということで、本当にTV版のラストと違います。
ZIIのラストに出てきたアクシズの旧ジオンと木星帰りのシロッコが参戦して、戦局はゴチャゴチャになります。
TV版を圧縮してるので混乱はしますが、よくもあそこまでまとめたなぁ、と関心しました。

しかし、あのラストは、

 「えぇ〜!Σ( ̄ロ ̄lll)」

も一つオマケに

 「えぇ〜!(゜д゜;)」

富野さん、やっちゃった〜ヾ( ´ー`)

という印象です。

ZIのときにロボットアニメで恋愛ものをやるとどうなるか、みたいな発言を富野さんはしてましたが、本当にやっちゃいました、という感じです。

納得いか〜ん(-_-メ


...でも、あういうラストもありかも。新訳だからね。

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Re: 「機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-」
投稿日 : 2007/04/17 14:38
投稿者 久保田r
参照先
 驚いた。予想以上にまとまっている。TVシリーズでは、混戦を極め、混乱のうちにカミーユを始めとする子供たちが戦争のパワーに巻き込まれて終わったという感があったが、この映画ではきちんと人の思いがクローズアップされ、思いにケリがついて終わっている。「Z」でここまで人の思いを前に出して見せるとは思わなかったので、思った以上の仕上がりに驚き。人間ドラマが成されている。

 脚本の良さに感動した。相変わらず、シーンが突然始まる切り出し方と独特の台詞回しではあるが、それが「ガンダム」のテンポであるので、それに慣れると「Z」の人間関係に心が揺り動かされる。戦場という場にあって、それぞれの役目を持った人間であり、男であり、女であり、子供であり。「ガンダム」が「ガンダム」であるのは、言葉は幼いけれども物事を正しく捉えることのできる子供の発言が周囲を引っ張っているので、大人の理屈で始まった戦いの中で懸命に叫ぶ子供たちと大人たちのドラマが見る者の目を惹き付ける。

 子供の真っすぐな発言のみでは、ドラマは清い流れのままで終わるが、「ガンダム」がこと人間くさいリアリティを持っているのは、子供たちがいる中で男女の関係も描かれていることで、これがアニメ作品でありながらアニメらしくないところ。今回の「Z」の映画化は、ロボットアニメで恋愛ものを描くという軸に沿って描かれているので、この完結に当たる今作では、その狙いをきちんと中途半端なことはせずに描いてドラマに幕を降ろしている。作品のシリーズ上ではこの後に「ZZ」というテレビシリーズがあり、「逆襲のシャア」という映画作品があるのだが、それらへ繋ぐことはもはや念頭に置いていないという心積もりさえ感じられるほど、新訳「Z」は今作でストーリーが終わっている。これが良いことなのかどうかは分からないが、「Z」のみのドラマを終わらせるという点では、しっかりと出来たシナリオだったと思う。カミーユとファの生身の触れ合い、クワトロと名乗りながらも最後にはシャアに戻った男の身勝手さ、心の奥に大切な想いを隠しているハマーン、最後まで憎しみに囚われたままのジェリド、感情に正直過ぎるままに行動したカツと感化されたサラ、女であることを優先したレコアと女心を利用するシロッコ、ヘンケンとエマの男女の関係…などなど。「Z」は多くのキャラが登場し、それぞれが複雑に絡み合って人間関係のドラマが生まれていた。それらをきちっと終わらせた新訳「Z」の完結作だった。

 乱暴な言い方かも知れないが、概ねの人間関係が頭に入っているのなら、この「星の鼓動は愛」だけでも作品に浸れるかも知れない。戦いに次ぐ戦いの中でキャラクターがせめぎあう「ガンダム」らしさが速い展開でぎゅうっと凝縮されている。この作品を見ただけで「Z」の全てを語れるとは言わないが、ラスト・シーンが新訳「Z」を象徴している。ベタな表現のラスト・シーンではあったが、それが良かったと思う。
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新訳Zガンダムの第三部
投稿日 : 2006/04/02 17:56
投稿者 Excalibur
参照先
ティターンズとエウーゴの抗争に、割って入る形となった旧ジオンの残党アクシズ勢力。その三つ巴の戦争もいよいよ終局へ。
ということで、全篇戦い戦い、また戦い。ちょっと気を抜くと、今はどことどこがどういう立場で戦っているのか、出撃しているのは誰と誰なのか、そういった俯瞰的な視点を見失ってしまうほど。早い段階で、自分にとってのキーとなるキャラクターを掴まえておかないと、物語の流れも捉え損なってしまうくらいだ。

ま、そんなことよりも、今回の問題はラスト・シーンだろう。TVシリーズのラストとは変える、それが”新訳”たる所以だということは製作開始当初から広くアナウンスされていたのだが、う〜ん、これはあり? 全く新しく付け加えられた旧ホワイトベース・クルーたちの特別出演は兎も角として、カミーユとファの描写の改変が、なんだかひどく安っぽいハッピーエンドに感じられたのは、自分だけではないと思うぞ。
またこの終わり方では『機動戦士ガンダムZZ』には繋がらないし、かといってハマーンの野望にも決着がついていないし、当然『機動戦士ガンダム/逆襲のシャア』にも続かない。こうなったら富野カントクには、”新訳”どころではない完全新作で『ZZ』をも映画化して、ミッシング・リンクを埋めてもらわねばなるまい。・・・・・・やらないだろうけどなぁ。

結局この映画版『Z』は、パート1の出来で大いに期待したものの、パート2、3と徐々に落胆の度合いが大きくなってきた。フォウもロザミアも出番はあれだけだし、そもそもTV版『Z』で一番好きだったシャアのダカールでの演説がない段階で、自分にとっての価値はかなり下がってしまったのだけれど。

ところで今回の映画化にあたっては一部のキャスティング変更が物議を醸したが、どーゆー訳かサラ・ザビアロフのキャストがまた変更になっている。じゃあパート2は一体何だったんだよ〜。
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