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「モーツァルト《レクイエム》」Dream Price 1000
投稿日 : 2001/09/01 23:35
投稿者 久保田r
参照先
1995年10月1日 POLYDOR

「レクィエム ニ短調 K.626」ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

第1部 入祭唱 永遠の安息を
第2部 キリエ 主よ、憐れみたまえ
第3部 続唱(セクエンツィァ)
 第1曲 怒りの日 第2曲 妙なるラッパの 第3曲 みいつの大王 第4曲 憶えたまえ 第5曲 呪われし者 第6曲 涙の日
第4部 奉献唱(オフェルトリウム)
 第1曲 主イエス・キリスト 第2曲 犠牲と祈りを
第5部 聖なるかな(サンクトゥス)
第6部 祝せられたまえ(ベネディクトゥス)
第7部 神の小羊(アニュス・デイ)
第8部 聖体拝領唱(コムニオ) 絶えざる光もて

ウィーン楽友協会合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
録音:1961年10月 ベルリン
 
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Re: 「モーツァルト《レクィエム》」Dream Price 1000
投稿日 : 2007/10/11 17:01
投稿者 久保田r
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 ここのところ、ジャンルを問わず最も聞いている音楽。特に考え事をする際のBGMに適しており、こんなことを言うと「ながら世代」と評されてしまうのだろうが、周囲の音をシャットアウトして集中して考えごとをしたい時にこの「レクイエム」は良い働きをしてくれる。何層にも重なった分厚い合唱が雑念を取り払ってくれ、集中力を高めてくれる。決して音楽を聞いていないわけではなく、迫力のある合唱とソロの部分の強弱の絶妙なコントラストが美しく、ストリングスを中心とした演奏が美しい。ただ「レクイエム」という魂を鎮めるという意味を持つこの音楽を聞きながら、考え事に集中している脳の働きとは別にヘッドフォンから流れる音楽に精神を委ねるのは快感にも匹敵する心地よさ。アルバムを聞き終える頃には、充実感にも似た感覚を覚える。

 「レクイエム」を聞くと音楽の持つ美しさというものをはっきりと感じる。この曲は、モーツァルトがヴァルゼック伯爵から依頼を受けて作ったということだが、完成出来ずにモーツァルトは病死してしまう。亡くなる直前にモーツァルトは弟子に克明に指示を与え、死後、弟子の手によって完成した。モーツァルトが100%携わっていない曲ということになるが、そのような事情を知らなければ、どこからが弟子の手によるものなのか分からないくらい荘厳かつ重厚な響きを持っている音楽だと思う。それは、モーツァルトの指示したコンセプトが微に入り細に渡って明確だったからだと思う。音楽の遺す偉大さを感じる曲。
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魂をしずめる
投稿日 : 2001/09/01 23:37
投稿者 久保田r
参照先
このレビューを「音楽その他」と「クラシック」のどちらに入れようか迷ったのですが、クラシックの場合、どの楽団のどの合唱団でいつどこで録音されたものなのか、というデータがあるとより良いような気がしましたので、こちらに投稿することにしました。
「レクィエム」と、辞書を引くと、鎮魂歌、鎮魂曲と書いてあり、そこから更に鎮魂曲と引くと、死者の魂をしずめるためのミサ。また、その大声楽曲。と、出て来ます。
「レクィエム」という言葉が何となく分っていた10代の頃、死者のための曲ということで怖い感じがしていましたが、30代になって何気にふと聴いてみようかという気になり、このアルバムを聴いてみましたら、怖いというよりも、合唱が心の中に沁み入る感じを覚えました。この感覚が「魂をしずめる」という気分なんだろうか、と、漠然と感じています。
私には今のところ”心が休まる思いのする曲”という感じでしかないんですが、「レクィエム」というのは、齢を重ねる毎に考えや思いが深まるものなのかも知れない・・・。と、そんな風にも感じました。
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